山桜いろの春 II

ー会津が山桜いろの光に包まれて、幸せに満ちることを願ってー
「戊辰戦争のお浄め 飯盛山」

 

飯盛山

喜多方市から南に国道121号線を通って会津若松市に入り、64号線でさらに南の鶴ヶ城方面に向かう途中、左手に入る道路があるところを通過した。

そのとき、道路の1キロメートルほど奥に異様なものを感じた。
真っ黒で暗く重いエネルギーが一帯に漂っていて、それはかなり強いものでもあった。

「あそこには何があるのだろう」

帰宅してから地図を見てみると、そこは「飯盛山」だった。
飯盛山は戊辰戦争のとき、白虎隊が自決をしたところ。

「それで、こんなに汚れているのか。いつかお浄めをしなければいけないかもしれない」

と思った。

それ以来、ほとんど気にかけることはなかったが、7年くらい経ったとき、会津に住む中学生の男のお子さんのことで、

「家の玄関に置いてある飾りものの小刀を持ち出して飯盛山によく遊びに行くようになり、感情が不安定で激しくなった」

という相談を受けた。

中学生があの異様なものがある山によく行くというのは、影響を受けるからとても危険だ。
飯盛山をお浄めするときが来たようだと思い、飯盛山や白虎隊員を霊視していった。

すると、白虎隊員をお浄めするはずなのに、そこからスーと逸れて、木が生い茂った暗い斜面の場所に意識が移った。

そこではなんと、甲冑を着た十数人の武士たちが刀を振りかざして今も戦っていた。戦国時代の武士だった。
着ている甲冑のせいもあるが、黒く暗い様相の武士たちが、木が生い茂って光が入らない暗い場所で戦っている。

凄まじい覇気と、激しい闘争心や怨念で500年くらいものあいだ、当時の意識のままで戦いつづけていた。
当時ここで戦って亡くなった武士たちが、強い無念や激しい闘争心から離れることができないために、この場所に残っているのだろう。

この武士たちの覇気や怨念の凄まじいエネルギーが、国道を通ったときに、左手の道路の奥に感じた異様なものの原因だった。

白虎隊員のエネルギーとはまったく違うものだった。
白虎隊員それぞれの前生、武士との関係など複雑なことがからんでいて、単純にはいえないが、武士たちがそこで戦いつづけていたことで、そのエネルギーに白虎隊員が引き寄せられて、その場所で自決をすることになったという関係性もあるように思う。

このままにしておくと、またいつか、この飯盛山で複数の人が殺し合ったり、殺人が起きる可能性がある。

わたしはお浄めをするために、すぐに飯盛山に向かうことにした。

お供え物として、おにぎりを作り、お酒とお塩を持って飯盛山に向かい、山の麓の駐車場に車を止めて、そこからは歩いて山に登った。

山に着くと、駐車場では降っていなかったのに、今年初めての雪が降りだした。
天気予報でも雪が降るとはいっていなかった。

雪はどんどん強くなって、あっという間に大降りになった。
大きくて水分が多い牡丹雪になり、視界がさえぎられ前方が見えづらくなるほどだった。
傘などはもちろん用意していなかったので、すぐに頭も肩も真っ白になってしまったが、「浄めの雪」は美しくもあった。

奥に進むと、お墓が並んでいる場所の反対側に、斜面になって樹々が生い茂った暗い場所があった。ここが観えていた場所であることが、すぐにわかった。

お墓におにぎり、お酒、お塩をお供えしてお祈りをし、斜面の場所は立ち入ることができなかったので、お酒、お塩をふりまき、おにぎりを投げ入れてお浄めを行なった。

ひととおりのお浄めを終えて山を降り、駐車場に着くと、あれほど大降りだった雪はすっかり止んでいた。

その日着ていった白のレザージャケットとショートブーツは、どちらも新品だったけれど、溶けた雪ですっかり濡れてしまっていた。

会津に来てまもなく

日常のお浄め

Eさんという女性が、福島県に住む年配の女性の霊能者のところにたびたび通っていた。会津に来てまもなくのころ、わたしはEさんに、

「その方のところに一度一緒に行って欲しい」

と頼まれて伺ったことがあった。

「行くときはお菓子を持参することになっているんです」

ということで、お礼の菓子折りを持参して伺った。

部屋の神棚の前に座っている霊能者の女性にご挨拶をして、菓子折りをお渡しすると、霊能者の女性は包装紙も外さずお祓いもせずに、座ったままでご自分の後ろにある神棚に片手でポンとお供えされた。

毎日たくさん頂いているうえお忙しいから、流れ作業のようになっているのかもしれないが、いささか雑なかんじがした。

その動作をなにげなく目で追って、ふとお供え物をした奥の、神様を祀ってあるはずのところを見るとそこに、きつねが隠れていた。

こちらは先代の女性が始められて、現在の女性はその後を継いでなさっているとのことだったが、おそらく先代の女性のときは、きつねはいなかったのだろうと思う。

女性の霊能力の半分は、このきつねの力が働いていると思えた。
きつねの霊力でもあることを、ご本人はおそらく気がついているのだろうと思う。

きつねは霊力があるので、いろいろわかるように思ってしまうが、悪戯をしたり、惑わせたり、攻撃や仕返しをしてくることもある。
神様の導きとはまったく違うものなので、わかっていてその霊力を利用しているのであれば、相談に来る人にとっても危険なことだ。

しかし、今ここでそのお話をしても、女性がご自分の意思でこのきつねを跳ね除けて、きつねの影響をまったく受けないようにすることはないだろうと思えたことと、言葉に出すと、自分の身が危ないと思ったきつねが、わたしのところにヒュッと攻撃してきて面倒なことになりそうだったことから、様子を見ることにして、その後もわたしはそのことをいっさい他言することはなかった。

後日、Eさんとわたしと、もうひとりの女性とで向かい合って話をしていた。
わたしからはEさんの右の横顔が見えていた。するとEさんの横顔にきつねの顔がだぶって観えた。Eさんときつねの顔が少しズレるようにして二重になって観えていた。

わたしは息を飲んだ。

Eさんが話している内容は、きつねがいわせていることだった。
あの霊能者の女性のところに行っていることで憑いてきているのだった。

それから1ヶ月くらい経って、Eさんがわたしの家に用事で来たとき、わたしがEさんの車のそばを通ると、後部座席に寝かせていた産まれたばかりのEさんの赤ちゃんが、凄まじい声でギャーギャーと泣きわめいていたので窓ガラス越しにふと見ると、その赤ちゃんにもきつねが憑いていた。

そのことがあってから、ある家の女の子にきつねが悪戯をして小さなトラブルが頻発していたり、街中で運転しているときにきつねが憑いてきて奥さんが怪我をしたりと、きつねが影響しているものをたびたび観るようになった。

いやにきつねが多く出てくると思い、喜多方市全体を見渡してみると、驚いたことにすごい数のきつねが喜多方市にいることがわかった。

こんなにたくさんのきつねがいると、この土地に住んでいる人は小さなトラブルや小競り合い、怪我をすることが多くなるだろう。

それからは、月に一度、喜多方市にいるきつねのお浄めのお祈りを行なうことにした。

イチョウの境内

会津地方のある場所に、名前がよく知られた大きな神社の分社があった。
会津に来たころお詣りに行ってみると、敷地の奥の一角に、きつねの小さい置物が地面に無数に置いてあった。

「こういう所にはきつねが寄ってくるだろうし、もういるかもしれない」

と思っていた。

それから8年ほど経ったころ、この神社の境内にはイチョウの木があり、秋になると境内の一面に銀杏が落ちるので、それを拾いに行ってみようかと思い立った。

行ってみると数日遅かったようで、境内をくまなく探しても銀杏はすべて拾われたあとで、黄色いイチョウの葉が厚く敷き詰められているだけだった。

視線を下に向けて足先でイチョウの葉をのけて探していたが、フッと顔を上げると、広い境内にわたしひとりしかいなかったのに、いつの間にか10メートルほど先に、職員の方らしき若い男性が竹ぼうきでイチョウの葉を集めていた。

私は銀杏のことを聞いてみようと思い、その男性に近づいていった。

話しかけると、男性はにこやかな表情で親切に答えてくれたが、その顔にはEさんのときとまったく同じように、きつねが重なって観えていた。

私は話を早々に切りあげて、足ばやに境内を出て家にもどり、そのきつねのお祈りを行なった。

N市から来た男性

パソコンの周辺機器のセールスで、福島県のN市から中年のかっぷくのいい、愛想のある男性が家に訪れた。

「今度パンフレットを持ってきます」

といって、持参してくれる日にちを決めたが、その日に来なかった。
行けないという連絡もなく、説明も謝罪もなかった。すっぽかされた。

このときは「忙しかったのだろう」と思って、なにも問いたださなかった。

商品について聞きたいことがあって携帯電話にかけたときは、いきなり大音量の音楽が鳴った。
どこで仕事をしているのかわからないが、会話をするのに支障があるから音楽を消すか離れたところに移動してほしかったが、大音量の音楽が聞こえるままで会話をした。

その男性は、話す内容がちぐはぐで、すぐにわかるウソや調子のいいことばかりいっていた。
それでも最終的にある商品をいただくことになり、持参してもらう日にちを決めた。
商品の説明に長時間必要だったので、わたしは時間をあけて待っていたが、その日もいくら待っても来なかった。こちらから電話をしても連絡がとれない。
来られない理由や日にちの変更の連絡は何もない。

またしても、すっぽかされた。
販売会社がお客をすっぽかすなど、聞いたことがない。

それでよく観てみると、その男性にはきつねが憑いていた。
それも普通のきつねではなく、人の身長ほどもあり、しっぽも大きく、きつねの大ボスのようなものだった。

その後、担当を別の営業マンに変わってもらい、商品は無事に購入することができた。

きつねのお祈りを数年間続けて、しだいに喜多方が綺麗になってきた。
数十年前に一匹のきつねが喜多方に来て、そこから広がってこれだけの数に増えていったようだった。
そして、浄まるにつれて、増えることになった一番の大元のきつねがどこにいるのかもわかってきた。その後お祈りをつづけ、大元のきつねは消滅した。

ドーム型に包まれて

2010年の夏ごろ、会津若松市と喜多方市の境あたりから、北に向かって喜多方市全体を包むようにして、半透明のドーム型におおわれるのが観えた。
そのドームは喜多方を安全に守ってくれるもののような感じがした。

これは、戊辰戦争のことなどがお浄めされたことで、守ってもらえるようになったのだと思っていた。

その年の秋ごろから、ファックス電話機が使用してもいないのに、「ピッピッ」と鳴るようになった。

この頃には、山から下りて喜多方市に住んでいたが、地震があると、その前にファックス電話機が「ピッピッ」と鳴ったり、通話記録が勝手に出てくることがあった。

電化製品は霊的なものの影響を受けやすく、それによって不具合が生じたり、故障することがある。
地震の電磁波の影響というのも受けやすいのだろうと思う。

秋ごろから鳴りだしたファックス電話機の音は、始めは月に1~2度だったものがしだいに増えていき、鳴る間隔が狭くなってきた。
翌年の2月になると、しじゅう鳴っているようになった。

「とうとう壊れたかな ?」

と思っていたら、1日に鳴る回数がピークに達したとき、東日本大震災が起きた。

そして、翌日からは音はまったく鳴らなくなった。電話機は故障していない。
地震の電磁波の影響を受けて鳴っていたようだった。

喜多方市は、幸い家屋の倒壊や地割れなどの被害はなかったと聞いている。
半年前の、半透明のドームに覆われたことで守られたのだと思えた。
ドームは、大地震から喜多方市を守ってくださるためのものであったのだと、このときわかった。

雲上の神様

山の家に住むようになって、まわりが草木の緑ばかりで、その草木のエネルギーがあふれているため、

「体中の細胞が喜んでいる」

と感じた。

わたしは近未来的な都市のほうが好みで、その中にいるほうが気持ちが落ち着いていたけれど、都会の、緑がほとんどないところで生活をしていると、こんなにも枯渇していたのだと、あらためてよくわかった。
緑がたくさんあると、人間の細胞はいきいきと活動できるのだということが実感できた。体中の細胞のひとつひとつが深呼吸できているようだった。

冬のあいだ木々の葉がすべて落ちて茶色に見えていた山々は、春になるとしだいに薄緑色に色づいてくる。
そのところどころに淡い儚げなピンク色の山桜がポツンポツンと見える光景は、日本むかし話にでてくる風景そのもので、数百年前の景色を眺めているようだった。

5月になると山藤が、山に入ってくる人を出迎えるように山の入り口や道路わきにその姿をあらわして、薄むらさき色は、控えめながら艶やかで、とても美しい。

冬のあいだは灰色の冷たい、寂しい色合いだった大きな沼は、夏にはエメラルドブルーの底知れない神秘的な沼へと変化する。

自然が豊かなところでは、動物にもたくさん出会うことができた。
山道を帰ってくる途中、崖がわの端に一匹のシカが立っていた。
細い道だから車はシカのすぐそばを通ることになる。
スピードを落として近づき、シカに接触しそうだったけれど、シカはこちらを見たままで逃げなかった。
そして車が通り過ぎると、身をひるがえして、切り立った崖を軽やかに華麗に飛び降りていった。

夜道を帰ってくるときには、よくタヌキが車の前に出てきて、ライトに照らされながら一緒に走っていた。
こちらはタヌキのスピードに合わせて速度を落として走らなければいけない。
かなり長い間そうやって車の前をモコモコと走っているが、必死に走っているように見える。先導してくれているのとも違う。なぜよけないの ? 

何十メートルも走ってから、ヒョイと山側の側溝に飛び込んで、顔だけを出してこちらが通り過ぎるのを見ていた。なんだか、「助かったぁ。危なかったぁ」と思っているような表情にも見える。その様子がとても可愛らしかった。
なんだ、よけられるじゃない。遊んでいたの ?

山の家は標高約500メートルほどのところにあり、空気も澄んでいるので、夜は「星に手が届きそう」なくらい星がすぐ近くに見え、都会で見るよりもはるかにたくさんの数の、小さな光のものまで鮮明に見えた。

こういうところは、スモッグがないため空気が綺麗で、街中のザワザワしたエネルギーの影響も受けないので瞑想がよくできる。深く入ることができる。

そんな山の家で、ある日の夜、主人とわたしはささいなことで口喧嘩になったことがあった。

喧嘩をすると、感情的になって言い合いになりかねないが、このときは、お互いの考えをそれぞれが冷静に話していた。
するとそのとき、二人のカルマがスルスルスルと解けていくのが「観えた」。
会話だけでカルマを解くことができていた。

ふつうであれば、こうしたカルマがでているときというのは、大きな喧嘩になったり、お互いに不快な思いをしてしばらく口をきかなくなったり、暴力に発展したり、心が離れていくなど、そのカルマの「現象」が起きる。

それが、現象として何も起きずに、話をしてしているだけで解くことができていた。会話だけで解くことができるということがあるとは。

それは、お互いが瞑想をしていて、人間の心理の構造やカルマのことを十分に理解しあっているもの同士だったから、できていることなのだった。

夜であったため、家の回りは明かりが何もない漆黒の闇と深い静寂。
高い山にいることもあって、暗闇の中にわたしたち二人だけが宙に浮いているような感じがした。
それは、雲の上の神様というのは、このようにニコニコと穏やかな話し合いだけでカルマを解いているのではないかと思える雰囲気だった。
とても不思議な体験をした。