霊的な階梯

霊的な階梯については、その段階の名称や数はさまざまにいわれていますが、わたしの場合は、現象の世界では5段あり、そのそれぞれが10段階になっていました。

瞑想を初めて2年ほどが経ったときから階梯が観えるようになりました。
1段階目の最初から始まっていきました。
執着していたものや固定観念などを解いて、「自分」がなくなっていくと、縦に1段ずつ上がっていくのが観えました。

10段目までいき、つぎにそこを超えたときは、また1段目であることがわかるので、ひとつの大きな段階は10段階あることがわかりました。
1段上がるのは、数日であったり、数ヶ月であったりします。

あるときは、瞑想に入っている状態の目の前で、次の段の境界線をスッと超えていく「様子」が観えたこともありました。

段階が鮮明に観えたことで、わたしは、いま自分がどの段階の意識状態にいるのかを明確に知ることができました。

大きな段階を2つほど上がったときでしたが、自分のその意識状態の深さと同じ深さのところの、人の心の状態が感じ取れるようになっていることがわかりました。

階梯が観えなければ霊的な成長が進んでいないというわけではなく、観えなければいけないということでもないので、階梯にこだわる必要はまったくありません。
瞑想を続けていても、階梯が観えない場合のほうが多いです。

自分は瞑想をしていても、何も変化が起きないし、進んでいるのかもわからないから瞑想をする意欲が薄れてしまう、と思うことがあるかもしれませんが、何も起きないと思えても、続けていると必ず進んでいます。

瞑想は、毎日続けていると、数日間や数ヶ月間何も変化がない同じ状態がつづいたあと、段差の低い階段を横に上がっていくように、スッと上がります。
そこからまた、何も変化がないような同じ状態がつづき、しばらくするとまたスッと上がります。

「何か起きて欲しい」とか、「進んでいないのではないか」と、あれこれ考えている「自分」を捨てることです。
何も考えず、ただ、淡々と瞑想をつづけることです。途中でやめてしまうと、そこで止まってしまいます。

わたしは、自分で階梯が観えるようになってしばらく経ってから、霊的な階梯があるということを人の話で知りました。
それを知って、自分が観えていた階梯は想像や思い込みではなく、確かにあるものだと確信をすることができ、安心して先に進むことができました。

それと同じように、階梯が観えたときに、体験していることは間違いではない、という確信を持ってその先に進んでほしいと思い、これを記載しています。

ただ、霊的な階梯について注意しなければいけないことは、想像で自分はどこどこの意識だなどと思い込むことがないようにしなければいけません。
思い込むことと、実際にその意識になることは、まったく違います。
自我のない絶対といわれている意識は、もともとわたしたちの内にある意識ですが、「自分は絶対の意識だ」と思うことと、本当に絶対の意識に目覚めていることとは違います。
また、人を霊的な段階で評価したり、上下関係に当てはめようとすることがないように気をつけなければいけません。

現象の世界のその先に進んだとき、まるで、梯子で家の屋根に登ったあと、その梯子が取り外されてなくなってしまったように、それまでの、階梯というものが消えてなくなってしまいました。

そこから先は、階梯というものはなく、それまでの現象の世界よりも、遥かに遥かに長いもので、無限かと思われました。
あるとき、ここが天井だろうかと行き止まってしまったことがありましたが、2年後くらいに、またその先に進むということが2回ほどありました。
ここで終わりかと思っても、そこからさらに先がある、というようなことが限りなくつづいていきました。

現象の世界ではない世界、あるいは現象の世界を超えた世界があり、それは混沌といえるもので、しかし、静止していたり、固定していたり、何もないというものではなく、エネルギーの非常にゆっくりとしたうねりがあります。
そこから意思として現象の世界に出たときに物質となります。

わたしは、瞑想を行なっていく過程で、「まだ、ここではない」と、さらに先に進んでいくことをつづけました。
その後、「これが探していた意識だ」と思えることが3回ほどあり、さらにその先に、長いあいだ探し求めていた意識が開かれました。