執着している感情

目 次

いつも心にある感情

日常生活で、同じことに関することをいつも考えてしまい、そして、それに対する感情もいつも同じものだ、ということはありませんか。
他のことを考えていたはずなのに、気がつくとまた、そのことが心を占めている、というようなことです。

それは、瞑想をしているときでも同じはずです。
雑念が浮かんであれこれ考えていると、いつの間にかその同じ事柄と、それに伴う感情が堂々巡りをしていて、心が引っ張られている。

そのように、いつも考えてしまう事柄と、それに伴う同じ感情がある場合、それが、自分が「執着している感情」です。

それは、家族のことであったり、身近な関わりのある人であるなど、ほとんどの場合は人との関係による事柄と感情です。

小学生のときに友達のAさんからいわれた一言で、自分に自信をなくしてしまい、それ以来ずっとその言葉が心にあって、人と接することに不安と恐れを感じ、自分の心を開けなくなり、人間関係がうまくいかなくなった。

同居しているお姑さんと、子育ての仕方や料理、習慣についての考え方が異なることで常にぶつかり、お姑さんは自分のほうが正しいといって、わたしのやり方をすべて否定してくる。
わたしは何をしていてもお姑さんのことが頭にあり、心も疲弊してきて、怒りや悲しみ、憎しみの感情でいっぱいになっている。

会社の上司の指示どおりにした結果、取引先との契約が破棄されてしまい、その責任を自分に押し付けられた。
そのことがあってから、上司に対して不信感と怒りが湧き、裏切られたという思いが溢れて、毎日そのことばかり考えるようになった。

友人数人と旅行に行ったときの、楽しかったことや新しい体験をして感動したことを思い出すと、そのときの情景や感情が次々と思い出されてくるが、旅の後半に、自分の不注意のせいで、一緒に行った友人の一人のBさんが取り返しのつかない大怪我を負ってしまい、もう何年も前のことであるにもかかわらず、後悔と申し訳なかったという罪悪感と、自分を責める気持ちがいつも心にある。そして、自分がまた人に怪我をさせるようなことをしてしまわないかという恐怖心が常にある。

これらの場合、お姑さんのことを思い出すときは、怒り、悲しみ、憎しみなど、いつも必ず同じ感情が湧いてきているはずです。
Aさんのことや上司のこと、Bさんのことを思い出すときも、それに対する同じ感情が堂々巡りをしているはずです。

Aさんとの関係、お姑さんとの関係、上司との関係、Bさんとの関係という「同じ事柄」に関して、Aさんの一言による自信喪失、不安、恐れ、お姑さんに対する怒り、悲しみ、憎しみ、上司に対する不信感、怒り、Bさんに対する後悔、罪悪感、自責という、「同じ感情」を持っています。
このように、「同じ事柄」に関して、いつも「同じ感情」が繰り返し出てくるとき、それが執着している感情です。

執着と記憶

友人数人と旅行に行ったときの楽しかった情景や感情を思い出す、というものは、一つの事柄に対して同じ感情がずっと湧いてくるというものとは違い、様々な情景や感情が走馬灯のように次々と思い出されるものであるはずです。
そのようなものは、記憶しているものではありますが、執着しているものではありません。その時々に感情を持つだけでは執着になりません。

人に傷つくことを言われたり、不快な思いをしても、「そんなに気にすることはないか」と思えたり、「腹が立つけれど、あの人の立場もあるし」などと思って、あるていど客観的に見ることができ、時間が経つと記憶や感情が薄れていくものも、強く執着しているものではありません。
否定的な感情であったとしても、執着しているものでなければ、長い間引きずるということは、あまりありません。

また、いっとき非常に大変な思いをしたとしても、その状況から離れてしまうと、「過去の記憶の一つ」にすぎなくなり、こだわりがなくなるものも、執着しているものではありません。

出来事が起きて、それからずっとそのことに関しての思いや感情がなくならない、いつまでも心の整理がつかず、一年も二年も、さらには一生、同じ事柄に対する感情が自分の心から離れない、わだかまっている、つねに思い出すというもの、振り払おうとしても振り払えない、忘れようとしても忘れられないというものが、執着している感情です。

出来事・現象が起きただけでは執着にはならず、そこに自分の感情が伴ったときに執着になります。
出来事・現象に執着しているのではなく、それに伴う自分の感情に執着しているのですが、感情を持っただけで執着になるということはありません。

執着による苦しみ

執着した感情を持っていると、それは苦しみになります。
人の苦しみは、ほとんどが執着によるものです。
執着している感情を解かない限り、苦しみはずっとつづき、「Aさんからいわれた一言で自信をなくしている自分」でありつづけます。

そして、執着していることが、自分の性格、思考傾向、物事の選択や反応、判断の仕方、感じ方、受け取り方を決めています。

・人と接することに恐怖心があるために、人との間に壁を作ってしまう自分。
・人が親切で言ってくれても、不信感で心を閉ざしているため、親切を受け取れない自分。
・つねに、「自分を認めて欲しい」という基準で、人と接している自分。
・自分はいつも人に対して妬みや意地悪な気持ちなど汚い心を持っているから、こんな自分は幸せになってはいけないと思い込んでいる自分。
・よくない方向だとわかっていても、うまくいかない方を選択しつづけてしまう自分。
・年上の人の威圧的な言動に過剰に腹が立つためいつも言い争いになり、仕事が長続きしない自分。

というような、「自分」というものを作っています。
本来何もないところに、執着することによって「自分」を作っているのです。

解くために起きている

執着している感情は、解くことができます。
解けると、自分の中からその感情が消え、「Aさんからいわれた一言で自信をなくしている自分」ではなくなります。

強く執着している感情というのは、今生で初めて関係性ができて初めて持った感情ではありません。
前生で同じような状況があって、そのときに同じような感情を持ち、そして、その感情に執着したのです。

前生で執着して解けていないものを解くために、今生で同じ人に出会い、同じような事柄が起きて、前生で執着した感情がでてきています。
ですから、いま自分に大変なことや辛いことが起きていて、感情が溢れているというときは、執着しているものが解けるときに来ていて、解くためにそれが起きています。

そのようなときは、解くべきものがはっきりと現れているので、非常に解きやすい状態になっています。それは、「心を観て解く」ということがどういうことかを知ることができるとてもいい機会でもあります。

環境を変えても変わらない

このように執着は解くことができるので、苦しく辛い状況であっても、落ち込んだり、悲しんだり、やけになったり、感情に引きずられたり、視野が狭くなってもう先がないように思うのではなく、また、自分が執着を持っていることに対して、自分を責めたり落胆するのではなく、状況と自分の感情を客観的に観て、解いていくようにすることが大事です。

辛いからと、起きている現実から逃避して環境を変えても、執着しているものが解けていない限り、また同じような人に出会い、同じような状況が起き、解かない限り、それがつづきます。
自分の外の世界である環境を変えようとすることではなく、自分自身が持っているものを解くことで、自分の外の世界が変化します。
これは、自分の外の世界や他人のせいにして考えている場合も同じで、自分自身が持っているものを変えると、外の世界や他人との関係性が変わります。

パソコンの設定

執着している感情は、パソコンやスマートフォンで、設定をするのと似ています。

「R社からのメールは受け取らない」
「テキストの配置は中央揃え」
「通知のサウンドはOFF」

など、自分が使いやすいように設定をしますが、一度設定をすると、それを解除するまではずっとその設定の状態が続くことになります。
執着している感情も、それと同じようなもので、一度執着すると、それが解けるまでずっと同じ状態がつづきます。
執着を解くと、設定を解除して初期設定に戻るように、執着のない自分に戻ります。



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