「頭で考える」ことと「観る」こと

目 次

頭で考えていること

これはこうではないか、ああではないかという考えや推測。
こういうときはこうした方がいいか、ああした方がいいかという選択や判断。
こうなるのではないか、ああなったら大変だ、困るという不安や心配。

これらは頭で考えていることです。
頭で考えることは、知識や経験、常識、理屈から答えを出します。
さらににそこに、自分の思い込みや固定観念も付加されます。

自分が身に付けている知識、自分が経験してきた事柄、地域や社会で常識とされていること、理屈で考えることのどれかに当てはめて考えるため、それらの範疇からしか答えが出てきません。
そして、自分の思い込みや固定観念を付加することは、色メガネをかけて判断することになります。

心で観ること

心で観ると、知識や経験、常識、理屈、そして思い込みや固定観念を超えたところで観ることができます。
知識や経験の範疇、という枠がなく、それそのものを観ることができます。
すると、そのものがありのままにわかります。

そうすると、このことは心配する必要がないことだから不安になることはないとわかったり、最善の方法が明確にわかったりして、思い悩んだり迷ったりすることもなくなります。

心で観るには

心で観るには、目を閉じたり瞑想をして、胸のあたりに意識を持っていき、そこで観るべき対象を感じます。
そして、自分の考えや判断をいっさい入れずにただそのものだけを感じます。
すると、頭では考えてもいなかったことや、考えもつかなかったことがわかります。

言葉で説明をするとこのようになりますが、このありのままに観るということが、どういう事であるかがわかりにくいため、初めは誘導が必要になります。
一人ひとりの観るべき対象に合わせた誘導を行ないますが、それによって次第にありのままに観るということを掴んでいくことができます。
それがどういう事であるかがわかると、そのあとは自分自身で観ていくことができるようになります。

執われを解くことができる

ありのままに観ることがわかると、自分の苦しみの原因になっていたり、「自分」というものを作っていた、感情の執われや思い込み、固定観念などを観ていくことができるようになります。
そうすると、それらを解くことができるようになり、苦しみの原因や、「自分」というものを作っていたものが消えてなくなります。

自分が悲しみに落ち込んでいるとき、頭で考えてこうだから悲しいと思っていたことが、心で悲しみそのものを感じて観ると、頭で考えていたこととはまったく別の原因や理由がわかったりします。
本当は自分のこういう思いがあったのかと深く理解し、納得することができます。
それがわかり納得すると、悲しみの原因であったものが消滅し、悲しみそのものが消えてなくなります。

外の世界の影響を受けない

わたしたちは自分の外の世界に大きく影響を受けて考え、判断しています。
人がこういっている、人からこういわれた、人がこうしている、あの人はこういう考えだというようなことに、つねに心は揺れ動いたり不安になったり、悲しくなったり、ショックを受けたり、動揺したりしています。

自分の内側に意識を向け、それそのものを観ることができるようになると、自分の外側の影響を受けにくくなります。
ありのままに観ることができると、それが真実であることがわかっているので、自分の外の世界がどうあろうと揺るがなくなります。
自分の外の世界に強く影響を受けなくなると、心は非常に穏やかで安定したものとなります。



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