「自分」を作っているものを解く  I「自分」を作っているもの

目 次

I「自分」を作っているもの

今回から5回に分けて、執着や思い込み、固定観念があるということはどういうことか、執着や思い込み、固定観念を瞑想で解くにはどのようにしたら良いかについて、できる限りわかりやすくお話していこうと思います。

「自分」を作っているもの

もともと何もないところに、執着や思い込み、固定観念をたくさん作っているのが「わたし」です。
ですから、たくさん作っている執着や思い込み、固定観念を一つひとつ取り除いていくと、もとの何もないものに近づいていきます。
そのもともとの何もないものを神様といっています。

「人間は意識の深いところですべて繋がっている」

とか、

「人間はもともとすべて同じ意識」

ということを見たり聞いたりしたことがあると思います。
それが、人間はもともと何もない意識だけれど、そこから「わたし」という個ができてきたということです。
わたしたちは非常にゆっくりですが、そのもともとの何もない意識の方向に進んでいます。

現在、社会に起きている大きな変化は、その進んでいく過程において今までの意識をひとつ大きく超えようとしているためのものです。

霊的な成長

瞑想も含めて、宗教的な修行を行なうのは霊的に成長をするために行ないます。

現実社会での「成長」というのは通常、赤ちゃんから大人になるという肉体的な成長、勉強をしたり技術を習得して知識や技術を身につけていくという成長、経験を積み重ねることによる成長、自分のことしか考えられなかったのが他人の気持ちを思いやることができるようになったり、人のせいにばかりしていてはいけないということがわかってきたりするなどの精神的な成長をいいます。

しかし、修行における霊的な成長というのは「自分」がなくなることをいいます。「自分」がなくなるというのは、先ほどお話したように「自分」というものを作っている執着や思い込み、固定観念がなくなるということです。
修行は、「自分」をなくして霊的に成長をして、もとの何もない意識、神様の意識に近づいていくために行ないます。

トラブルや苦しみ

自分に起きているトラブルには、家族間や親族間、職場などでの人間関係、取引や契約などの仕事上の問題、事故などがあります。
自分が抱えている苦しみには、過去または現在の辛い体験、思い通りにならないということなどがあります。そして、それらが引き金になる場合もある鬱症状、対人恐怖症、摂食障害、適応障害、強迫観念、不安神経症などの苦しみもあります。

こうしたトラブルや苦しみは、自分にとってとても辛く苦しいものです。
トラブルは、自分が持ってる執着や思い込み、固定観念によって起こります。
そして苦しみは執着や思い込み、固定観念があるために生まれます。
執着や思い込み、固定観念を持っている「自分がある」からトラブルや苦しみが生まれます。その執着や思い込み、固定観念が解けて消滅することで、トラブルや苦しみがなくなります。

自分に起きているトラブルや苦しい状況には必ず理由があります。偶然起きていたり、誰かや何かのせいではなく、自分が過去世で同じような体験をしていることによるものであったり、そのときにその体験したことに執われたことによって現在の状況が起きています。

直したい性格やクセ

自分の性格(性質)やクセのために物事がうまくいかなかったり、人間関係に支障が出るということがあります。
性格やクセは、自分で気がついたり人からいわれて直したいと思っても簡単には直せないことが多いものです。

・自分に自信がない
・なんでも否定的に考えてしまう
・何をするにも怖がりである
・人の親切を素直に受け取ることができない・人を信用できない
・いつも大変な思いをする方や失敗する方を選択してしまう
・年上の人にいつも反発したくなるなど、特定の事柄に極端に反応する
・生活に支障をきたすほどの潔癖症
・お酒やギャンブル、権威、権力、思想、組織などに依存している

こうした性格やクセというのもまた、執着や思い込み、固定観念があるためであり、なぜそのような性格やクセがあるのかという理由があります。

性格やクセを直そうとして、自分に自信がない場合は、自信をつけるために知識をたくさん習得したり、肉体を鍛えたり、「自分は自信がある」と自分に暗示をかけて思い込もうとしたりするかもしれません。

それらは自信をつけるための解決方法になる場合もありますが、「自信がない自分」が自分の中にあるにもかかわらず、「自信がない自分」に知識を塗り重ねたり、肉体を鍛えるというすり替えを行なったり、自信がないことの反対の自信があるということを上書きしたりしているだけで、本当に「自信がある自分」になっているわけではないので、心に葛藤や混乱、不安、迷いが生じて苦しみとなります。

そして、「自信がある自分」を求めている心と、「自信がある自分」にまだなれていない心のギャップが苦しみになります。

「自信がない自分」を作っている「執着しているもの」、「思い込んでいること」、「固定観念になっているもの」が自分の中からなくなると、「自信がない自分」が消えてなくなります。それは「自信がある」でもなく「自信がない」でもない意識です。そこには「自信がない自分」はなくなっています。

「自信がある自分」を作り出そうと頑張ったり努力をすることではなく、「自信がない」というそのものがなくなるといいのです。
「自信がある自分」を作ろうとすることは、そこにそのような「自分」を作ることになります。「自信がある自分」であっても「自信がない自分」であっても、どちらも「自分」があります。

そしてまた、自信がない自分に「自分は自信がある」と暗示をかけて思い込むことは、ともすると思い込みだけが強くなって実力がともなわない、中身が何もなかったり地に足がついていないものになる場合があります。

これは、「自分はすべてできている」とか「自分は正しい」、「自分は強い」などの思い込みも同じです。自分を安心させたり鼓舞するために思うことではありますが、中身がともなっていないことに気がつかなくなり、しだいに「自分は自信があって実力がある」と錯覚を起こしてしまうことがあります。そうすると、実際の自分とのギャップができ、それが苦しみの要因になります。

すべて同じ

上記にあげた3つのこと、

1. 霊的な成長
2. トラブルや苦しみがなくなること
3. 性格やクセを直すこと

これらはすべて同じことです。
「自分」を作っている執着や思い込み、固定観念がなくなることが霊的な成長であり、執着や思い込み、固定観念がなくなることでトラブルや苦しみ、悩みがなくなります。
修行で求めているものとトラブルや苦しみ、悩みから解放されることは、どちらも「自分」がなくなることなのです。

「II 自分の人生も決めている」




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