始まりの旅
24歳になって間もなくの5月末、わたしは一人でフランスのパリに旅行に行きました。なぜパリなのかというと……。
21歳のとき友人の女性が、
「2人のそれぞれの行きたい外国で、半年ずつ生活しない ?
わたしはスペインに行きたい」
と提案して、それまで海外に旅行したいと考えたこともなく、特定の国に興味を持ったこともありませんでしたが、フッと「パリ」が思いつき、
「わたしはフランス」
と答えて、すぐに意気投合して1年間の海外生活に夢を膨らませました。
ところが、提案した本人のご両親が猛反対をして、計画はあっけなく立ち消えになってしまい、わたしもそれ以降は海外旅行のことを考えることはありませんでした。
それから3年がたったとき、急にそのときの「パリ」という思いが浮かび、わたしはパリに行ってみようという気持ちになりました。
それは爽やかな風が心地よく吹いている、5月の末のことでした。
街の記憶
旅行の計画を立てるためにパリの地図を眺めると、セーヌ川の中洲にあるシテ島とサンルイ島のうち、シテ島はノートルダム寺院などがある島ですが、その東側にある小さいほうの島のサンルイ島にとても気持ちが惹かれました。
「いちばん最初にサンルイ島に行こう」
この島にとくに見たい場所があったわけではありませんでしたが、なぜか最初に行ってみようと思いました。
わたしはアイスクリームが大好きなので、人気のBerthillon(ベルティヨン)のアイスクリームでも食べてこよう、と思いました。
パリに到着すると、ホテルにチェックインして部屋に荷物を置き、片づける間もなく、すぐにメトロを乗り継いでサンルイ島に向かいました。
サンルイ島に架かるトゥルネル橋を渡りきり、右足を一歩、地に着けたとき、
「ここは覚えている。左側に行った、あのあたりに住んでいた」
と思えました。
橋を渡り終えたわたしはBerthillonに直行して店頭の行列に並び、40種類ほどもあるアイスクリームの中から、「ça(これ)……ça(これ)……」と指をさしてコーンにトリプルに乗せてもらい、食べおわると、ほかの場所を見ることもなく、すぐに島を後にしました。
小学2年生ころから、前生の記憶によって、今生で初めて来た土地で、「ここに来たことがある、ここを知っている、この風景を覚えている」と思えたり、今生で初めての体験のはずなのに、「これは以前にもやったことがある」と思えることがたびたびあったので、サンルイ島で「ここは覚えている」と思えたことは、わたしにはすんなりと受け入れられることでした。
つぎの日は、パリの街中を歩きました。
車道の両側にブティックが並び、ブティックの前は車道から一段高くなった石畳の歩道になっています。
その石畳の歩道を歩いていると、ブティックが両側に並んでいる風景と、足下の石畳の色やデコボコしたかんじを、
「覚えている」
と思えました。
さらに、この「街の匂い」をも覚えていました。
それはまるで、2~3年前にこの街に住んでいたかのような、とてもリアルなものでした。
そうした、前生のことに触れたことがきっかけになったのか、あるいは意識が変わる時期にきていたためか、わたしの意識の殻が破れたようになり、パリにいる間にわたしは非常に感受性が強くなり、神経が過敏になり、そして不安定になりました。
移動のための列車の車窓から草花の景色を眺めているだけで、理由のわからない涙があふれ出てくるほど、不安定になっていました。
たった10日間いただけのパリで、わたしの感受性と精神状態は激変してしまいました。
神様の啓示
東京に帰ってからも、その感受性が強く、非常に過敏で不安定な状態はつづきました。
翌年の、24歳が終わろうとする3月末、わたしは部屋の壁にもたれかかって足を伸ばして座り、「1970年代のファッションが再流行する」という記事のファッション雑誌を読んでいました。
そのとき、左側の3メートルくらい離れた窓から黒いモヤのようなものが入ってくるのが観え、そのモヤは
「人類に大きな混乱と変化が起きる」
「これから先、人類が大きく2つに分かれていく。一方に入ることができる人と、入ることができない人とに分かれる」
というもので、それは非常に恐ろしいこととして感じられました。
一方というのは、神様に向く、信仰心を持つ、精神世界に心を向ける、物質的なものから精神的なものに心を向ける、ということに気がつくことができる人という意味です。
それは、神様の道を歩んでいく方向ということでもあり、それに気がつかない人、あるいはそれから心を逸らす人とに分かれるということです。
当時はまだ、世界でもそのようなことをいっている人の話は聞いたことがなかったため、直感的に理解でき信じることはできても、まだ漠然とした気持ちでした。
その後数年たつと、しだいに精神世界に関係している人々などが同じようなことをいうのを聞くようになりました。
おそらく、それらの人々も、わたしと同じような時期に知らされたのだろうと思います。
そのことがあった次の日、机で書き物をしていると、頭上の高いところからわたしの頭頂に入ってくるエネルギーがあり、入ってくると同時に、これは「神様だ」と思えました。
それまで神様というものを考えてみたこともなく、神様というのは「高いところからわたしたちの行動を見守ってくれている存在」というような漠然とした考えしか持っていませんでしたが、それがこのとき、はっきりと「神様」であることがわかりました。
頭頂から入ってくるエネルギーはそのままメッセージとなり、次から次と凄いスピードでそのメッセージが伝えられました。
わたしは入ってくるままに、自動書記のようにノートに殴り書きをしていましたが、それは書くことが追いつかないほどの早さでした。
その内容は、世界のこれからのことや、それに対してわたしがやらなければいけないことなど様々なことでした。
わたしに関することでは、変化する人々の「21世紀への橋渡し」をすること。
「この世的な場所に行き、(そこで)この世的ではない場所(霊的な次元の意識)に行く」こと。
また、「我妻恵光であって、我妻恵光でない」ようになる。それは、わたしは我妻恵光だけれども、それまでの我妻恵光の意識とは全く違う意識になるというものでした。
そして、「この世にあるもの(意識)とは全く違うもの(意識)になるから、(その意識になるまでの過程は)なおさら大変だ」ということも知らされました。
わたしは、その神様の仕事ということに対して、
「そんなことは、やりたくありません」
といいましたが、神様は、
「やれ」
とおっしゃいました。
探しつづけた3年
そのことがあって以来、わたしは、
「それを果たすために何をするといいのか」
ということだけが心を占めるようになり、つねにそれを探すようになりました。
神様は、具体的なことはおっしゃいませんでした。
時期がくると、自然に向こうからやってくるものだということは、このときはまだわかりませんでした。
「宇宙的な音楽の中にあるのだろうか」
と、宇宙をテーマにしたものや抽象的な音楽をいくつか聴いてみましたが、音楽の中に見つけることはできませんでした。
「心理学の中にあるのだろうか」
と、フロイトやユングなどの心理学書を読んでみましたが、読み始めてすぐに、人の心のごく浅い部分のことしかいっていないということがわかり、心理学の中にはわたしが探しているものはないとわかりました。
そうして探しつづけても見つけられなかった3年間は、それを果さなければという気持ちでいるわたしには、とても辛い時期になりました。
3年が経過して、書店で仏教学者の中村元さんの、「宗教における思想と実践」をパラパラとめくったとき、
「宗教」、「お釈迦様」、「瞑想」
という文字が目に入りました。
その中の「瞑想」という言葉に
「この中にわたしが探しているすべてがある」
と思えました。
わたしは、小学校2年生ころから「わたしにはわたしのやることがある」と思えて、そのやることとは何かということも、心の中でいつも漠然と探していました。
そのことと3年前の神様のことと、両方の探していたことの答えのすべてがこの中にあるということが、この時わかったのでした。
瞑想の始まり
そのことがわかってから、わたしはすぐに瞑想を始めました。
それまでの生活環境はすべて捨てました。
外の世界のことにまったく関心がなくなり、テレビ、新聞、本、雑誌もいっさい見なくなり、瞑想の中にどっぷりと入り込んでしまいました。
朝起きて顔を洗い、午前中4~5時間座り、お昼にフラリと立ち上がって数分休んで、すぐにまた4~5時間座るという生活になりました。
神様からも
「必要最小限のものを身の回りに置いて、必要最小限のものを食べるように」
といわれましたので、そのような生活をしました。
灼熱の砂漠に一滴の水を落とすと瞬時に吸収してしまうように、探し求めて渇ききったわたしの心は、精神世界に関することをどんどん吸収したがっていました。
ある日、ファッションビルで買い物をしていたとき、1件のショップの入り口で通路を挟んだ向かい側のショップを何気なく見ていたとき、その向かい側のショップの方向から、天井ほどもある高さの大きなエルネギーの波がわたしに押し寄せてきました。
「わたしの環境が大きく変わる」
と感じました。
それからまもなくして、わたしはさらにこの世的な生活から離れ、瞑想を行なうだけの、行の生活に入りました。
大きなエネルギーの波が押し寄せるのは、そのあとも2回あり、そのたびにわたしの生活環境が変わりました。
瞑想を始めて1年くらいが経ったころでしょうか、呼吸法などで気をめぐらせていたためか、体の前面に赤い炎が見え、背骨に沿って熱いエネルギーが上に向かって昇り、クンダリニーが上がった状態になりました。
するとそのとき、飼っていたクナという名前の、ブルーアイの真っ白なネコが窓の隙間からベランダに出て、今まで聞いたことがないような大きな声でギャーギャーと鳴き叫びつづけました。
それはまるで、主人の命が危ないから
「誰か助けに来て !! 」
と助けを呼んでいるようでした。
動物は人の状態や霊的なことを敏感に感じ取るようなので、おそらくわたしの命の危険を感じて助けを呼んでくれていたのだと思います。
雄ネコで普段はかなりヤンチャなのに、こんなに必死に助けを呼んでくれるなんて。
じつは動物を飼ってはいけないマンションで、内緒で一時的に飼っていたものだったので、大きな声で鳴くとネコを飼っていることがわかってしまいます。
わたしは早く部屋に連れ戻したかったのですが、体を動かすことができません。
クナはずっと大声で鳴きつづけています。
数分後、ようやくフラフラと立ち上がり、クナを抱きかかえて部屋に連れ戻すことができました。
そのときから、わたしの体調が変わり、不安定、過敏な状態はますますひどくなりました。
食事もほとんどのものが食べられなくなり、冷蔵庫を開けてそのとき何が食べられるか胃と体に問いながら食べるものを決めましたが、そのとき食べられるものはリンゴと納豆くらいでした。
年の瀬が近い時期であったのですが、当時はコンビニがなく、スーパーも2日までお正月休みだったため、年末に食料品をまとめて購入しておく必要がありました。
わたしは12月31日に、スーパーの店内はお正月商品であふれている中、リンゴと納豆だけを数日分まとめて大量に購入したことを覚えています。
それからはさらに瞑想で自分の内側に深く入り込んでいきました。
夜中の2時ころに起きてアーサナや呼吸法を行ない、3時か4時ころから座り始めるという生活になっていきました。
その時間に瞑想をすると、気が澄んでいるのでよく座れます。
そして朝の6時ころになると、世の中が活動し始めるため、しだいに外の世界がザワザワしてきます。
わたしはそれくらい長いあいだ瞑想に入っていたかったのでした。
意識が瞑想状態の中だけに向けられていました。
意識が深く深く入り込んで、そこからでたくない状態で、そうした状態を長い期間つづけることになりました。