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わたしたちは、自分に自信がなかったり、失敗することを恐れていたり、物事を否定的に捉えて自分の行動を制限していたり、怒りや悲しみ、不安、憎しみなどから離れられなかったりすることがあります。
それは、自分がそうしたことに対する執われや思い込み、固定観念を持っているためです。

執われていることや思い込み、固定観念が、自分の言動や物事の選択の仕方、考え方の傾向に大きく影響しています。
それが、自信がないわたしであるとか恐れているわたし、なんでも否定的に捉えてしまうわたし、過去の出来事から離れられないわたしというような、「わたし」を作っています。
そして、その言動や物事の選択の仕方、考え方の傾向が、自分の周りの状況を作り出すことになります。

けれども多くの場合、自分の中に執われや思い込み、固定観念があるということに気がつかなかったり認めたくなかったりします。

認めたくなくて、あるいは直視することが怖くて、自分にはそんなものはないと思い込もうとしていたり、それを押さえ込んで打ち勝とうとしていたりします。
また、怒りや憎しみ、不安を持ちつづけることは良くないことだからと、楽しいことや肯定的な考え方に置き換えようとすることもありますが、否定したり押さえ込んだり置き換えたりしても、執われていることや思い込み、固定観念そのものは消えてなくなりませんので、そこに苦しみが生まれます。

否定したり押さえ込んだり置き換えたりするのではなく、自分が持っている執われや思い込み、固定観念そのものを観て識ることで、その執われや思い込み、固定観念を解くことができます。
自分は本当は何に対してどんな恐れを持っていたのかということや、罪悪感があったために自分を責めていたなどという、本当のことがわかって解けます。

解けると、自信がないわたしとか恐れているわたし、否定的に捉えてしまうわたし、過去の出来事から離れられないわたしが、自分の中から消えてなくなります。

自信がないから自信を持つようにしようとか、恐れがあるから強くなろう、悲しみを払いのけるために楽しく振る舞おうとすることではなく、自信がないことや恐れ、悲しみそのものがなくなることで、本当にその苦しみから解放されます。

頭では、こんな言動や選択をしてはいけないとか、否定的な考え方をしないほうがいいとか、こんなことはもう忘れてしまったほうがいいなどということがわかっているけれどできない、ということもあります。
頭ではわかっているけれどできないということも、やはり心にしっかりと執われていることや思い込み、固定観念があるためで、その心のままになってしまうからです。

恐れに関する思い込みを持っていたものが一つ解けてなくなったとすると、それは「わたし」というものを構成していたものの一つがなくなったということです。
わたしたちは、執われや思い込み、固定観念をたくさん持って「わたし」というものを作っています。
その一つひとつを解いていくことによって、自我を超えた意識になっていきます。