自分に自信がないとき、物事を行なうことに躊躇したり理由をつけて回避したり、人の反応を恐れたりするか、あるいは、自分はできている、自分はわかっていると思い込もうとしたりします。
心が弱いとき、ちょっとした出来事に動揺して不安になったり、他人を恐れて自分に壁を作ったり、すぐに落ち込んでしまったりするか、あるいは、強く見せるために威圧的に振る舞ったり、強い口調で話したり、傲慢・不遜な態度をとったりします。
自分は傲慢なところがあって、それを態度で表すのはよくないと思っているとき、
自分を卑下したり、傲慢であることを見せないように心の奥深くに押し込めてしまうことがあります。
自信がないのに、自分はできている、わかっていると思うことは、「自信がない」ことと反対のことを行なっていることになります。
威圧的に振る舞ったり、強い口調で話したりすることは、「弱い」ことと反対のことであり、自分を卑下することは、「傲慢さ」と反対のことです。
「心が弱い」例で考えてみます。
反対の、威圧的な態度や、不遜な態度をとることは、「弱い」心を隠して強そうにしているだけで、そのような態度をとっても、元の「弱い」心が自分の中から消えてなくなることはありません。
反対のことをすることは、元々のものの上に、別のものを塗り重ねていくようなものなので、元のものはそのままあります。
元の「弱い」心があるうちは、その上にいくら別のものを塗り重ねても、「弱い」心はつねに自分に影響します。
別のものを塗り重ねることをつづけていると、感情が不安定になり、混乱や不安感が出てきて、それは苦しみになります。
強くなろうとすることではなく、弱い心がなくなることによって、弱い自分ではなくなります。
「弱い」心であることには理由があります。
その理由を認識することができると、弱さとして持っていたものが解けて消滅します。
消滅した意識というのは、弱いでも強いでもなく、右でも左でもなく、強くありたいと思う「自分」もない、「弱い自分がなくなった」意識です。
弱い心である原因を持っているのに、
「強くならなければ」
「強くしていなければ」
と、つねに思っていることは、とても苦しいもので、強くなろうと努力をすることは、苦しみを増加させていくことになります。
肉体を鍛えて「力」をつけたら心も強くなると思うかもしれませんが、肉体を鍛えて自信がつくことで多少は気持ちも強くなることがあっても、心の奥にあるものは肉体的な力をつけることで消滅するものではないので、弱い心の原因があるうちは、それが自分に影響しつづけます。
自信がないという場合も同様です。
「自信がない」という思いがあるのに、
「自分はできている」
「自分はわかっている」
と思おうとすることは、自分の心に矛盾が生じてしまい、苦しみになります。
そして、実際には何もできていない、何もわかっていないのに、できている、わかっていると思い込んでしまうと、中身のないものになり、虚勢を張っているだけの、地に足がついていないものになります。
それは本当に自信が持てていることとは違います。
虚勢を張るのではなく、しっかりと地に足をつけて知識を身につけ、練習を積むことが大事ですが、ただ、ここでも、「自信がない」と思う原因になっているものを持っているうちは、知識をたくさん身につけたり練習を積んだりしても解決にはならず、自信がない思いや不安感はなくなりません。
自信がない思いや不安感を振り払うために、知識を身につけることや練習をすることに意識を向けて、そこに逃げてしまっているかもしれません。
また、自信を持つために、「自信がないと思ってはいけない」と思うことは、「自信がない」という思いに蓋をしたり、意識の深いところに押し込めてしまうことになります。
蓋をしたり押し込められたりした思いは、自分で自覚がなくても常に自分に影響していて、自分では理解のできない不安感や苛立ち、悲しさなどを感じ、これも苦しみになります。
傲慢さも、傲慢になっている理由がわかることで解くことができます。
自分を卑下しても、元の傲慢さは心の奥深くに押し込められています。
自分を必要以上に過小評価したり卑下したり謙遜する人というのは、傲慢さの裏返しである場合があります。
傲慢さを持っていながら、傲慢になってはいけないという思いがあると、自分を押さえ込んで過小評価しようとしたり、卑下したりすることがあります。
逆に、威圧的であったり傲慢である場合、その人の心の奥には弱さがあり、それを認めたくない、または、他人にそれを知られたくないという思いで、威圧的、傲慢になっていることがあります。
悲しみに執われているのに、悲しい気持ちなど持っていてはいけない、楽しく振る舞うようにしなければと思うことや、怒り、憎しみ、怖れに執われているのに反対のことをしようとすることも同様のことです。
自分の内にある執われや思い込みで苦しんでいたり、変えたいと思っているのであれば、それを打ち消すために反対のことをすることではなく、それそのものを消滅させることなのです。
なお、自信がなくて何をするにも躊躇したり、人の反応を恐れたりする場合や、
心が弱くて、動揺して不安定になりやすかったり、人が怖かったり、落ち込んでしまいがちである場合、また、悲しみや怒りに執われている場合は、なぜ自信がないのか、なぜ怖れたり落ち込んだりするのか、この悲しみや怒りはどんな理由によるものなのか、ということを観ていくと解くことができます。
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